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秋風が肌にも感じられるような季節となってきた今日この頃。諸兄はいかがお過ごしのことだろうか?まぁ聞いたところで興味はないのだが、皆精神ともに健康であることを祈ろう。

ところで俺のMacBook Airは今掃除機みたいな音をしている。ファンがマシンを冷やしているというよりは何かを吸い込んでいるみたいな音がする。さっき行ったアップデートでOSX10.7には掃除機機能でも搭載されたのだろうか。まったくハタ迷惑なことである。

3日坊主にならないようにがんばってこのブログを続けていたつもりだが、最近また筆をさぼってきたのでどうでもいいことでも書くことにする。何にしろがんばりすぎは良くないというのが我が家の家訓である。頑張りすぎると空回りして何もうまくいかない。ちょっと手を抜いたほうがいいのだ。まぁがんばりすぎない性格のせいでこうした怠情な生活を今も行っているわけだが。

俺は今年27歳になる。

そう。そろそろオーバードーズして死ぬ年齢だ。そう思って生きてきた。いや違うな。そんなことは思っていなかったかもしれない。最近思うのだけれど、Don’t trust over 30って言葉はとにかく古い。OASISなんかそもそもデビューした時にノエルは30超えてたような気がする。完全なおっさんである。そう考えるとまだまだこんな俺にもロックスターになれるチャンスはあるのかもしれん。うむ。

では、さらばじゃ。

合掌

現実世界のクソ野郎はソーシャルメディアをも食いつぶす

僕はときどきソーシャルメディアの次に何が来るのだろう?ということを考える。

ソーシャルネットワーキングサービスが時代の主流になるなんて、全く馬鹿げた世の中になったと思う。

あのサーバーが五分毎に落ちることでお馴染みのTwitterも、出た当時では他のSNSに明らかに劣っていたFacebookも今や世界中の人が当たり前のように使っている。

Twitterでは24時間世界中のクソが絶え間なく流れてくる。

しかしながら、スロットマシーンと同じ心理的要因により、人々は人のクソを毎秒毎に確認しないと気がすまないし、自分もクソをWebに垂れ流すのとで充足感を得るのだ。Twitterのトラフィックの90 %以上が明らかに意味のないクソだ。誰かの不満だとか尿意だとか眠気の報告だとか、そういった類のものだけだ。かなり乱暴な言い方だが大体合っている。たまにTwitterを情報活用の為に有効に使っているという噂を聞くことがある。が、きっと都市伝説だろう。僕はそんな人は特殊すぎて例外として省いていいレベルの少なさだと思っている。

一般人にはTwitterというものはクソを垂れ流す以外には有名人に気軽に絡むことができるメディアであるということくらいだろう。(ところでTwitterをやっている有名人って偏ってない?自分の好きな有名人は大概Twitterをやっていない気がする。)

TwitterはiOSに組み込まれるようにインフラとしての道を歩み、Facebookは金を集めた。どんどんポータルに逆戻りしていくかのように見えるFacebookにユーザーがどんどん集まっているのは不思議だが、それはそれほどユーザーが増えたっていうこと証明でもある。(ところでFacebookの真価がwallだってことを知っている人はどれくらいいるのだろうか?)TwitterにしてもFacebookにしても充分にユーザーを集めた。もう使っていない人は取り残される、といった具合に。

今まで中途半端な流行のソーシャルメディアでは、自分の日記や写真などを見られたくない人に見られるようになるとソーシャル活動全般を行うことが億劫になって、その人を外すことも出来ずにアカウントごと消滅。最悪死ぬ、ということが良くある。現実世界とは違う何かを見せたいからWEBでやってるのに、いつだって現実世界の関係性の中に幻想は殺されていくものだ。

僕が今こうして書いている文章はまるでFacebookやmixiでは公開したくない。本当に嫌な奴ばかりだ。大体向こうからフォローを申し込んでくる奴にロクな奴はいないのだ。

自分が求めていないのに熱心にコミュニケーションアプローチを繰り返してくる奴がいたら、そいつはかなりの要注意人物だ。相当めんどくさい奴か君の何かを狙っているかのどちらかの人間である。また、TwitterでもFacebookでも投稿がやたら多い奴の言動には注意するべきだ。ブログとかTwitterだとかそんなもんを毎日続けられるようなやつは、よっぽど現実世界で誰にも構ってもらえないような暇人か、単なるクソ野郎だ。僕の経験上、ネット上で発言や投稿を絶え間なく続ける奴は現実世界でも絶え間なく喋り続ける(たとえ君が一切聞いていなくても)。ちなみに黙っている間はネットしているときと寝ているときだ。こういう人間を僕は5人くらい数えあげることが出来るから、あながち間違いではないだろう。

それでもダラダラと暇つぶしにそいつらのタイムラインを追っていると、きっと君も感化されてしまうから、本当に気をつけて欲しいと思う。

ネットでも現実でも声がデカい奴には気をつけよう。これは間違いなく教訓である。

最後の部分であまりソーシャルと関係なくなってしまったが、今度真面目に書くとしよう。

夜の電車から見る風景はパラレルワールド

ところで、こんなことはないだろうか?

夜、電車に乗って帰る。 しばらくぼんやりと考えごとなどしながら、窓の外に目をやると「あれ?ここはどこだ?」と思い、慌てて窓に顔を貼り付ける。通り過ぎては消えていく暗闇に目をこらして、しばらく経ったら「あぁここはまだあの駅までの途中だった」と思い納得する。

毎日乗っている電車でも、全ての景色を覚えているわけではない。それは分かっているが、それでも「あれ?ここはどこだ?」と思った時に見える景色は、随分と僕から遠く離れた現実に見えてしまうのだ。本当に目的の駅より先に行ってしまっていた時はより喪失感が大きい。周りの人間だって全く知らない人間に見えてきてしまう。そういう時は、つい周りの人間を見回してしまうのだが、誰もが「僕は知らない」とでも言いたそうに目を背ける。普段の電車では座って目を開けてるだけで、嫌でもチラチラ目が合ってしまう。でも、僕が電車を乗り過ごした時には誰も目を合わせようとしないのだ。そもそも目があったとしても「いやー僕乗り過ごしちゃいましたわー」とか話しかけられても迷惑なだけだろう。僕自身もそこから話を膨らませる自信はない。

とにかく自分の現在地が分からなくなることだけで人間はこうも不安になる。まぁこの話は長距離電車に乗ってる人じゃないと分からない話かもしれない

とりあえず、これまでの文章のタイトルにつけていた写真は消してみた。 こういうことをやりだすと文章をアップロードするまでに写真をとったり画像を編集したりと、手間がかかってしまい、iPhoneやAndroidから気軽にアップロードすることが出来ないからだ。 文章に合うような写真を撮るのも難しい。これまでは文章とまるで関係ない写真を載せていたけれども、それも嫌になったというわけだ。

nothing, nothing..

nothing, nothing..

iPodからAndroidまでの道のりとその先

時は2011年。

最初のiPodが発売されて10年が経った。10年前には誰も信じなかった世界がここには広がっている。iPod、iTunes、そしてiPhoneが世界中に広まってるなんて誰も考えなかった。最初のiPodが出た当時にはみんなはこう考えていたはずだ。

「失敗するハードを作ることでお馴染みの変ちくりんな音楽プレイヤー」

事実、初期のiPodはひどかった。すぐにHDDは壊れるし、iTunesもiPodのUIも本当に複雑怪奇なものだった。(少なくとも最初はそう感じた)それにあの頃のアップルのことをかっこいいと思っていた人間はごくわずかだった。

でも、それからiPodは爆発的な流行を見せた。ところでこの辺りの時期のことを覚えているだろうか。2001年のことである。つまり、人々は無制限に様々なサイトからタダで音楽をダウンロードしていた時代だ。ほぼノイズと変わらないようなゴミみたいな音質の音楽を山ほど集めたり、CDRに焼いて喜んでいたわけである。今思い出すとあの時代はすごくワイルドでプリミティブな世界だった気がする。今、128Kbpsといっても誰もが通信速度のことと勘違いするだろうが、僕が言っているのはMP3の圧縮ビットレートである。音質と引き換えにiPodに入れる曲数を増やすなんていう選択肢はもう誰も持たない。だって今のiPodには使いきれないぐらいの容量があるからだ。誰も音質や圧縮方法のことなんて気に留めない時代がもう来ているのだ。(こと音楽について言えば。動画はまだまだかもしれない。)

さて、前回からの話を続けると、PCはもう目に見えるレベルで市場が小さくなっていき、そのシェアを食っているのはスマートフォンだったり、タブレットだったりという妄想話だったと思う。(それにしても一体ネットブックってなんだったんだ?短い期間だった。)

とにかくスマートフォンについて話を戻そうと思う。Androidが急速に普及したことにより、端末メーカーは急に渡されたタッチパネルスマートフォンの端末開発に追われることになる。最初こそはiPhoneに追いつけ、追い越せといった形だったが、端末の性能が上がってくると一つの問題が発生した。

「(このままではiPhoneのコピーキャット、しかも劣化品だ!)」

そこで端末メーカーは、まるで申しあわせたかのように同じコンセプトを掲げた。

「ソーシャル」

最近のAndroid端末には必ずソーシャル機能(ソーシャル連絡帳、ソーシャルストリームなど)といったものが端末デフォルトのアプリとしてメーカーがプリインストールする。誰が使うか、といった問題はさておき端末内にユーザーを囲い込むことが出来ると考えたわけである。囲い込んだ後どうするかということについては特に考えていなかった。そもそもソーシャルというものがイマイチ分かってないんじゃないかと思う。では、結局ソーシャルって何なのか?それは次回に書くとしよう。

最後に、「ソーシャル」なスマートフォンの作り方はとても簡単だ。電話帳をFriendfeedみたいにして(消えていったサービスとしておなじみである。)、TwitterとFacebookのアプリ、おまけにウィジェットまで付けてあげれば完璧である。もう誰もがそれを「ソーシャル」と呼ぶに違いない。「ソーシャル」な機能、それをユーザーが使っているかどうかは自分自身で確かめて欲しい。そしてそれが有益なのかどうかも。(僕はクソの塊だと思う)

プロデバイスとエンドユーザーデバイス

それにしても何でこの大不況にスマートフォンだけは売れるのか?それは単純にパソコンのシェアを食っているだけかもしれないし、事実スマホのWebだけで事足りるっていう人は多いだろう。そしてメールも電話もついてるし、音楽だって聞ける(忍耐力があれば)、Youtubeも見れるし、SNSにはいつだってつながる、カメラもあるし、様々なアプリがあるから楽しむぶんには全く不足しない。

仕事がしたいだって?会社のPCでやりなさい…

とは思ったが、これでは本末転倒なので少しだけ触れてみよう。そもそもスマートフォンはブラックベリーに代表されるようなビジネスユースの端末という意味合いが強かった。一般の人が触るようになったのはiPhone以降のことだ。(そういえばMacこそ初のパーソナルなコンピューターだ)

さてスマートフォンが実際の仕事に使えるかといったらイエスであり、ノーである。外出が多い営業マンなどはメールが出来て、書類がチェックできれば仕事はできていると言える。これは間違いない。スマートフォン様様である。しかし、スマートフォンでエクセルが作れるか?スライドが作れるか?といったらノーとなる。いや、現実にアプリはあるし、もちろん出来るっちゃ出来る。でも、莫大な時間がかかる。もう、本当に追いつめられている時しか使わない。僕自身去年かなりスケジュールに追いつめられてiPadでドキュメントを大量に書いていたことがあったがあれはかなりの時間と労力を必要とした。iPadはタブレットだからまぁ何とも言えないんだけど。

まぁともかく、今まさにMacやPCのシェアはスマートフォンやタブレットに奪われている。でも、もっと大きい画面を使うコンテンツだって勿論あるんじゃない? そりゃあるに決まっている。でも大画面だったらパソコンは中途半端な大きさだよね。 そう、そこで再び出てくるのはテレビだ。

大画面を使いたいものは全てテレビに任せてしまえばいい。そうして、Apple TVやGoogleTVみたいなプロダクトが出始めているのだ。実はああいった謎プロダクトが将来的に狙っているのはPC市場なのだ。多分。 AppleTVをジョブズはホビーだといったが、先を考えると主力商品になる可能性だってある。AppleにはiTunesがあるし、App Storeだってある。AppleTV用のstoreがリリースされる可能性だってあるのだ。まぁたぶんその時はHTML5を使ったゲームとかなんたろうけど。そう考えると今まさにAppleがHTML5まわりの開発環境を整えている最中なのかもしれない。

そのうちMacはプロしか使わないようなデバイスとなっていくだろう…と妄想が行き過ぎたのでこのへんで。

スマートフォンについての考察あるいは妄想

スマートフォンについてそろそろ書こうかと思った。意図的に書かないつもりだったがやめた。書くことにする。

スマートフォンってそもそも何だ?

“スマートフォンは電話だけでなく、メールとWebができるもの。”と、iPhone発表時のプレゼンテーションでジョブズは語っていた。

また、ジョブズはiPhoneをタッチパネルとiPodと新しい価値体験を足したものだといった。

では新しい価値体験って何だろう?それはAppであり、それはApp Storeに他ならない。

アプリをストアから買う、という概念はそもそもiPhoneによって一般に浸透した。App(アプリ)はiPhoneの価値提供の要である。 iPhoneはスマートフォンの価値をAppをインストールすることによって拡張できる、また電話やメールを含めた全てをアプリとして見せることで、スマートフォンの価値体験を拡張したのだ。

つまり、iPhone前とiPhone以降ではスマートフォンの世界は全く違うことになる。iPhone3Gの登場後には、アプリは大量に開発され、消費され、様々な目新しいアプリが毎日App Storeのランキングを彩り、開発者の中には巨万の富を得たヒーローも次々と登場した。(盛り上がったのと同じくらいアップルのやりたい放題のApp Storeの運営に不平不満も集中した)

この3年間全ては大アプリ時代だった。

いいも悪いも含めて。

それを壊したのはAndroidである。iPhoneの猿真似として出現したAndroidはiPhoneが拡げたスマートフォンの価値体験というものをまるで分かっていなかった。(ように見える) アンチAppleの人が好むものにする、エンジニアが喜びそうなものにする、といった方法だけで大体のシェアは稼ぐことができたが、アプリのことは全く分かっていなかった。(ように見える)Androidが公式のマーケットからランキングを外し、マーケットに並べるアプリの審査もほとんどしないという方針に決めた。その結果今ではAndroid Marketはゴミの山である。(日々ゴミが生産されるから全く手に負えない。)

例えば、ChromeがChromeOSになって、そのモバイル版がChromeスマートフォンとして誕生した(順番はどちらでもいいけど)のであれば話は分かるし、是非買いたいと思う。しかし、Android社を単に買収しただけだからあまり美学といったものが感じられない。そして何故かAndroidに搭載されているブラウザーはChromeではないのだ。この件はGoogleに文句言ってやりたいくらいだ。

そういえば世界的な大不況で広告ビジネスは衰退していくはずだからGoogleもこれまでのように安泰というわけではないはず。だいぶ長くなったので今日はこんなところで。

昔のLADはステッカーくれたなぁとか思い出した。LADでもらったステッカーは全てこの椅子に貼ってた。

昔のLADはステッカーくれたなぁとか思い出した。LADでもらったステッカーは全てこの椅子に貼ってた。